日本共産党の武装闘争時代

 

日本共産党の犠牲者は1万人?

私(安東)は、日本共産党と左翼により犠牲になった死者の数を約1万人と推定しています。

 

水谷尚子氏の著作『「反日」以前』には、1950年代前半、北京に政治亡命していた日本共産党の幹部、袴田里見と野坂参三が同じく北京に滞在中であった党幹部、伊藤律を「スパイの疑いがあるから『処刑』あるいは『処分』して欲しい」と依頼したことが暴露されています(中国共産党は拒否)。

 

日本共産党員による殺人事件

共産党が犯した殺人事件としては、宮本顕治が査問と称するリンチで小畑達夫を殺した事件、昭和24(1949)年7月15日に中央線三鷹駅の車庫から無人電車を動かし駅前の交番と民家に突入させて6名の死者を出した三鷹事件、昭和24年8月17日に青森発上野行きの旅客列車を、東北本線、福島県金谷川駅と松川駅のカーブを通過する時に脱線転覆させ、3名の死者を出した松川事件、昭和26年12月に東京都練馬区旭町の駐在所に勤務していた伊藤巡査を殺害した事件、昭和27年1月に札幌警察署警備課長の白鳥一雄警部を背後から拳銃で狙撃し殺害した事件、昭和27年5月1日に使用を禁止されていた皇居前広場に突入し暴れ、8名が死亡した血のメーデー事件がまず思い浮かびます。

 

日本共産党は武装闘争時代に多くの犠牲者を出しました。武装闘争の時代とは、日本共産党が軍事方針に基づいて軍事闘争を行った昭和26年からしばらくのことです。この軍事闘争は、日本共産党が朝鮮戦争で北朝鮮=ソ連・中国共産党を支援するための後方撹乱戦術でした。

 

 

伊藤巡査殺害事件

当時、交番を日本共産党の軍事委員会のメンバーが火炎瓶を持って次々と襲撃し、火炎瓶を投げ込んで警官を負傷させ、時には殺害するという事件が続発しました。最初に起きたのは、伊藤巡査殺害事件です。以下、兵本達吉氏の『日本共産党の戦後秘史』から抜粋します。

 

「東京都練馬区旭町の駐在所に勤務していた伊藤勝郎巡査は、管轄内の製紙会社の労働組合が第一組合と第二組合に分裂したとき、たまたま共産党系の第一組合員を逮捕したことから共産党員に深く恨まれた。そして、『会社の近くで人が倒れている』とおびき出されて殺害されたうえ、拳銃を奪われた。……警視庁は、捜査の結果、共産党北部地区委員会・軍事委員会の指揮による犯行であることを突き止め、14人の党員らを強盗致死罪で検挙した」。

 

白鳥事件

昭和27年1月には白鳥事件が起きました。これは、共産党札幌委員会が、札幌警察署警備課長の白鳥一雄警部を、札幌市内での勤務を終えて自転車で帰宅途中、背後から拳銃で狙撃し殺害した事件です。共産党は警察と検察のでっち上げであると主張し、20年間にわたって裁判所で激しく争われました。

 

しかし、主犯とされた日本共産党札幌委員会の委員長で軍事委員会委員長でもあった村上国冶は、一審で無期懲役、二審で懲役15年、最高裁で上告棄却(懲役20年)の判決を受け、再審請求や異議申し立て、最高裁再審特別抗告もすべて棄却されました。そして、平成10年10月29日付の「北海道新聞」が「白鳥事件党員の犯行を裏付け、元共産党幹部が証言」という一面トップ記事を掲載し、共産党の犯行であったということが確実になったのです。

 

血のメーデー事件

昭和27年5月1日の血のメーデー事件でも多数の死傷者が出ました。警察の資料によると、警察側で832名が負傷(生命危篤8名、重傷71名、軽傷753名)であり、共産党側の資料によると、警官の死亡が3名、重傷28名、負傷53名、デモ隊側の死亡が5名、負傷者300名とあります。

 

査問・リンチ事件

査問・リンチ事件について言えば、何人もの無実の党員がリンチされ、生命を失っています。宮本・袴田の「スパイ査問事件」は有名ですが、他にも尹基協射殺事件(昭和7年)、平安名常孝殺害未遂事件(昭和7年)、大串雅美リンチ事件(昭和8年)、波多然事件(昭和9年)、大沢武男事件(昭和9年)など挙げれば切りがありません。

 

共産主義研究家の兵本達吉氏は、小畑達夫の死は明確にリンチによる傷害致死ないしは殺人事件であると断言しています。詳しく知りたい方は、前述の『日本共産党の戦後秘史』をご覧ください。

 

また、査問事件に絡み、傷つき、廃人となったり、精神に異常をきたし、あるいは自殺した人もいます。不破哲三氏と同じ東京大学の共産党に所属していましたが、現在は共産党を辞め、共産党の批判活動をしている安東仁兵衛氏の『戦後日本共産党私記』によると、昭和26年2月、不破氏はスパイ容疑で激しい査問を受けています。拷問ともリンチとも言えるようなそのあまりのひどさに不破氏と共に査問を受けた戸塚秀夫氏は自殺を図っています。

 

曙事件

共産党員が地主宅に押し入り、暴虐の限りを尽くし、金品を強奪する事件も頻発しました。有名なのは曙事件です。

以下、『日本共産党の戦後秘史』からの抜粋。

 

「日本共産党の十名の山村工作隊員が、山林地主佐野喜盛宅へ『佐野喜盛を人民裁判にかけ、財産を村民に分配する』と称して、竹槍、こん棒を持って押し入り、就寝中の佐野及び妻、女中、さらには小学生3人をも竹槍でつき刺し、こん棒で殴打し、あるいは荒縄で縛り上げ、頭から冷や水を浴びせるなど、暴虐の限りをつくし、……、現金4860円と籾一俵を強奪した」。

 

横川元代議士襲撃事件

横川元代議士襲撃事件では、「昭和27年8月7日午後9時20分頃、日本共産党埼玉県西部独立遊撃隊と武蔵野独立遊撃隊の13人が、党資金を獲得するため、埼玉県比企郡大河村腰越居住の武蔵野銀行取締役、元商工政務次官で元代議士の横川重次(当時57歳)宅を襲った。……目潰しを喰わせ、日本刀、短刀、登山用ナイフ等で同人の首、肩、腹、腰などを切りつけたり突いたりして瀕死の重傷を追わせた」(同上)。

 

『日本共産党黒書』発行を

また、ある調査によると、ソ連のスターリンによる大粛清時代に、KGBによって粛清された日本人は100名近くになりますが、その中には野坂参三元日本共産党名誉議長の密告により銃殺された山本懸蔵氏や、同じく山本懸蔵氏の密告により銃殺されたり強制収容所に送られた人が多くいます。もちろん密告された人のほとんどは無実でした。これらの人たちも日本共産党による犠牲者として数えられなければなりません。

 

ちなみにイタリアでは、すでに『イタリア共産党黒書』が発行されおり、イタリア共産党による密告などで死亡した事件に関する本が発行されています。日本でも『日本共産党黒書』の発行が待たれます。

 

 

どうか皆様、日本共産党によって殺された、あるいは死に追い込まれた等の話を知っている方がおりましたら、私までご一報ください。日本共産党による犯罪の実態を明らかにしていこうではありませんか。それは、日本共産党によって殺された人々の無念を晴らすためにも、ぜひとも必要なのです。

 

JAPAN Guardians 代表 安東幹