現在も「平和の党」を装う日本共産党ですが、「真っ赤な黒歴史」とも言える共産党の歴史をご存知でしょうか?
こちらでは、ツイッターで公開されている「にっく」氏(@nikkunikku4)のスレッド(一連の投稿)をもとにしながら(※1)、当時の新聞記事(※2)とともに、共産党の偽らざる‟歴史的事実”をご確認ください。
※1 にっく氏の承諾のもと掲載(表記など一部修正)
※2 掲載の新聞記事は、著作権の保護期間満了に伴い、インターネット配信等が可能となったものです。記事中の「日共」とは日本共産党のこと。
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日本共産党と暴力革命路線
白鳥事件
共産党員が警官を射殺。党員の暴力事件を取り締まっていた白鳥課長への報復テロでした。
なお、日本共産党は数々のテロ行為を一度も謝罪していません。
練馬事件
練馬警察署の印藤巡査を殴り殺し、拳銃を強奪。共産党系の組合員を逮捕したことへの報復でした。
田口村事件
5人の警官を集団で暴行し、拳銃を強奪。暴力革命のために拳銃を集めていました。
曙事件
「日共党員が集団暴行 コン棒で殴る蹴る 一家六人袋叩き
曙村の山村工作隊 非協力地主へ報復」(山梨時事新聞、1952年8月1日付)
共産党員が山梨県曙村の地主宅に棍棒を持って乱入。地主だけでなく妻や小学生の子供まで袋叩きにしました。
横川元代議士襲撃事件
元代議士の自宅に押し入り、日本刀で切りつけました。資金集めのための犯行でした。
血のメーデー事件
共産党員らが暴徒化して、皇居前で警官隊と衝突。死者・負傷者が多数出ました。しかし「アカハタ」は、暴徒を英雄扱いしました。
五・三〇事件
新宿などで共産党員による暴動が発生。死者も出ました。しかしアカハタは「愛国大衆・新宿を制圧」と暴動を礼賛しました。
暴力革命
政府は暴力革命を狙う共産党を警戒。非合法化を検討したこともありました。
大量の武器
手榴弾、火炎瓶、毒ガス…。共産党は様々な武器を製造していました。
軍事組織
共産党は各地に軍事委員会を置き、テロを実行しました。軍隊のような組織でした。
脱党者にリンチ
脱党者や疑わしい党員をリンチしました。女性にも容赦しませんでした。
中国から資金援助
テロ活動の資金は中国・ソ連から援助されていました。中国からは麻薬も密輸し、資金源にしました。
衆議院で議席ゼロに
1952年の衆院選では全候補者が落選し、22議席から0議席に転落。相次ぐテロで国民の支持を失いました。しかし、アカハタは「光る百十万票、米日反動に痛打」と勝利宣言しました。
選挙違反
共産党は昔から選挙違反をためらいませんでした。対立候補の演説会に乗り込み、首を絞めたことも。
【戦前編】日本初の銀行強盗
「銀行襲撃のギャング 全部三人捕縛さる 共産系が資金集めの犯行」(東京朝日新聞夕刊、1932年10月11日付)
革命資金を稼ぐために、日本で初めての銀行強盗を実行しました。日本共産党は戦前から「プロレタリアートの武装」、「議会の廃止」、「戦争の内乱への転化」を掲げる非合法組織でした。
【戦前編】リンチ殺人
「顔の半面は濃硫酸にやけて青むらさきに変色し、一つの目は完全につぶれていました」(秋田魁新報)
共産党は仲間を惨(むご)いリンチで殺害します(スパイ査問事件)。実行犯の宮本顕治氏は服役後、共産党トップに就任。
【戦前編】「リンチ共産党」の壊滅
「リンチ共産党の全貌ー本日記事解禁」(東京朝日新聞、1934年5月22日付)
リンチ事件が相次いで共産党員は軒並み逮捕。1935年に党中央が壊滅します。
太平洋戦争中は何もできず、再建されたのは終戦後でした。
日本国憲法に唯一反対
「人民のつくる人民の憲法を! 天皇制死守を図る 偽装の‟主権在民” わが党・憲法草案に反対声明」(アカハタ、1946年3月11日付)
日本国憲法に唯一反対した政党が共産党です。それは「天皇制」に反発したためです。元祖「改憲政党」とも言えます。
スターリンを礼賛
日本共産党は独裁者スターリンの遺志を受け継ぎました。アカハタでの枕詞は「社会主義建設の偉大な指導者」「世界平和と世界諸国民解放のみちびきの星」でした。粛清を暴露したスターリン批判も黙殺します。
原発を推進
「ソ同盟 原子力発電所操業を開始 平和的利用を実現」(アカハタ、1954年7月2日付)
共産党は元々、原発推進派でした。ソ連の原発を「人類史に新しいページ」「社会主義の勝利」と絶賛しました。
核武装を支持
共産党はソ連の核保有を「平和事業に使用」と支持。中国の核保有も「核戦争を防止する防衛的な措置」と支持しました。
一方、資本主義国の核兵器は厳しく批判しました。
ソ連=社会主義の勝利
共産党は「社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた」(宮本顕治氏)と賞賛。五ヵ年計画も礼讃していました。しかし今の綱領では「ソ連は…社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」と評価が180度変わっています。
北方領土返還に反対
「沖縄施政回復決議に賛成し 北方領土回復決議に反対する」(アカハタ、1962年3月11日付)
「北方領土=ソ連領」が共産党の見解でした。北方領土返還の国会決議にも共産党だけが反対して、ソ連に媚びを売りました。
今ではコロリと変わって、北方領土を含む全千島列島の返還を要求しています。
日韓基本条約に反対
資本主義の韓国を敵視し、日韓基本条約の粉砕を叫びました。アカハタでは「韓国」とカギカッコ付きで表記。正式な国家とは認めないという意思表示でした。
北朝鮮とベッタリ
「日本共産党 朝鮮労働党 両代表団が友好的に会談」(アカハタ、1968年8月27日付)
日本共産党はたびたび北朝鮮を訪問し、金日成氏と会談。共産党は北朝鮮による朝鮮半島の武力統一を支持。韓国滅亡論者でした。
北朝鮮帰還事業を推進
共産党は在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業を進めました。しかし実際の北朝鮮の状況は悲惨でした。
警官のピストルに反対
「なぜ持たす 警官のピストル」(アカハタ、1964年10月17日付)
共産党は警官がピストルを持つことに反対していました。警察を弱体化させれば、暴力革命をやりやすくなります。自衛隊の縮小・廃止を主張してきた背景には、そうした考え方もありそうです。
同性愛者を差別
1976年9月9日付の「赤旗」でも明らかなように、共産党は除名した共産党市議について「いわゆる『ホモ』の習癖がある二重人格者」「男同士のいかがわしい関係」「極めて異常、異質」と批判していました。
最後にー日本共産党による歴史の改ざん
以上のような、主に昭和26年(1951年)の武装闘争を「分派」のせいにする共産党ですが、当スレッドでにっく氏(@nikkunikku4)は次のように指摘しています。
「分派活動」(という弁明)は日本共産党による歴史の改ざんです。「徳田・野坂分派」と言っていますが、徳田氏は当時の書記長。つまり主流派ですよ。
例えば今の共産党が何か失敗したときに、志位氏を除名したうえで「あれは志位分派が勝手にやったことで共産党とは無関係!」というくらい滑稽な主張です。
なお暴力革命を訴えた51年綱領は1962年の共産党綱領集にも掲載された正規の方針です。
また徳田・野坂両氏と対立していた宮本顕治氏も暴力革命を主張していました。志位氏の二代前のトップです。
また「分派」だと主張している共産党も、その後に和解・統一したことは認めています。であれば今の共産党がテロの責任を引き継ぐのは当然。石破政権が誕生したときに「安倍政権のやったことは安倍分派の仕業であり、自民党には一切責任は無い!」と言ったら理解できますか?
なお日本共産党はもともと暴力革命を掲げて生まれた組織です。戦前の綱領的文書には「労働者の武装」「議会の解散」「戦争の内乱への転化」と明記。戦争に反対したのは事実ですが、それはソ連・中国を守るため。一次資料を確認しないと、共産党の歴史改ざんに騙されます。
以上、日本共産党による歴史の改ざんに騙されず、「真っ赤な黒歴史」とも呼べる共産党の歴史を、一人でも多くの国民が認知してくれることを願います。