日本共産党のやり方

 

日本共産党は、自民党や立憲民主党などと違った、異質な政党です。

 

日本共産党に入党することは、日本共産党と自分の人生を重ね合わせることを意味します。

 

毎週、支部会議があり、日本共産党中央委員会の方針や声明を長い時間を掛けて読み合わせをし、「学習」することから会議は始まります。この学習と決意表明、具体的な行動化に会議の多くの時間が割かれます。

 

党の役員になると、毎月、丸一日の会議があったりします。早朝は、共産党の日刊紙「しんぶん赤旗」を各家に配達、昼休みは宣伝活動、夜は集会、週末はビラ配布や会議で、自分の大半の時間が日本共産党に奪われることになります。

 

日本共産党に注ぎ込むお金も高額で、党費は実収入の1%ですから、それに党員が購読することを義務付けられている「しんぶん赤旗」の代金、日本民主青年同盟への援助金などを加えると、毎月1万円近くになります(自民党の党費年間5千円と比較すると大きな違いです)。

 

さらに忘れてならないのは、いったん日本共産党に入党したものの、朝、昼、晩と、のべつくまなく共産党から電話が掛かってきて、党員を増やすようにガンガン指示され、精神を病み自ら命を絶った人がたくさんいるということです。

 

あるいは、共産党に入党したものの、疑問を感じて共産党を辞めようとしたが、行く先々に共産党員が押し掛けて来て、「辞めるな」と脅され、精神を病み、自殺した人がたくさんいるのです。このような人たちの総数は、統計がないのでハッキリとは分かりませんが、1万人近くいるのではと考えられます。この数字は決して誇張ではありません。

 

例えば、元日本共産党愛知県委員会で働いていた宮地健一さんの研究によると、

「愛知県委員会の約半分のスタッフを抱える名古屋中北地区委員会は、専従の党員が53名いた。そのうち、22名が病気になり、さらにそのうちの12名がノイローゼになった」といいます。

 

精神科を悪用した人権侵害

また、私(安東)を含めて、日本共産党を批判したために共産党により代々木病院の精神科に連れて行かれるなどして精神医療を悪用した人権弾圧を受けた3人の事例も明記される必要があります(3人とは、私と兵本達吉さんと宮地健一さん)。

 

健康で全く病気でない人間を「共産主義を批判する」などという理由で精神病院に強制収容するのです。

しかも、「政治的偏執狂」などという民主主義国家では到底考えられない病名をでっち上げたのです。

 

元共産党の国会議員の秘書だった兵本達吉さんは、1990年、信頼のおける友人3人への年賀状に「宮本独裁30年」と書いたそうです。すると、密告により、共産党本部の書記局から呼び出しがあり、「兵本氏は一連の東欧の社会主義の崩壊を目撃して非常にショックを受けたために、年賀状を書いた時は精神が動揺して精神的にも不安定だった」とされ、共産党系病院の総本山である代々木病院の精神科での診察、精神鑑定を強要されたといいます。

 

私は東京の日本共産党の中野地区委員会の専従だった時に、共産党を批判するなどしたところ、日本共産党の中央委員会の指示により代々木病院の精神科に連れて行かれました。1989年1月31日のことです。

 

その後、共産党の犯罪を告発しようとする私に対して、共産党は私を自殺や不倫の常習者、変質者にでっち上げ(もちろん私に自殺未遂はなく、不倫とは無縁で、変質者などではありません)、精神科に連行されて当然の人間にでっち上げたのです。

 

そして、私の出入りする先々、例えば、東京・青山の国連大学や霞ヶ関の国会図書館に共産党系医療団体である全日本民主医療機関連合会の職員と共に押し掛けたのです。

 

あるいは、東京・新宿にある東京医大病院で私が歯の治療で手術をしている時に、病院内の共産党員らが私をそのまま精神科に入院させろと押し掛けて来たこともあります(詳しくは私の著書『日本共産党に強制収容所』をご覧ください)。

 

共産党系の病院は、宮本顕治や不破哲三など共産党の指導者にたてついた共産党幹部の収容先となっており、志位和夫委員長も2005年に「風邪の静養」という名のもとに長期間入院させられたといいます。その他にも多くの共産党の幹部が代々木病院に収容されたのです。